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2014年04月28日

ものづくり日本の原点 富岡製糸場 世界遺産へ


日本のものづくりの原点が世界の宝に−。文化庁が二十六日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が世界文化遺産登録を勧告したと発表した、群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」。海外から知識と技術を導入して、日本の伝統産業である生糸の大量生産を可能にし、その生産システムを海外にも発信した。明治時代に行われた、地球規模の産業技術の交流を今に伝える遺産の意義が、高く評価された。

  六月十五日からカタールで始まる世界遺産委員会で正式に決まる見通し。国内の世界文化遺産としては十四件目、自然遺産も含めた世界遺産全体では国内十八件目。明治維新からわずか四年後の一八七二年、富岡製糸場は官営工場として明治政府が設立した。

  製糸場建設や製糸技術を指導したのは、フランス人技師ポール・ブリュナ。横浜のフランス商館勤務だったブリュナは武州、上州、信州で実地調査を行い、養蚕が盛んで、水や石炭が確保できる現在の群馬県富岡市を建設地に選び、設計した。
  完成後は全国から約四百人の女性工員が集まり、フランス人技術者の下で生産を開始。富岡の経験者が、全国の製糸場に技術を伝えていった。
 糸を作る作業は、蚕の繭を煮て細い糸を取り出し、それを束ねるという手順。束ねる作業は当時、女性工員が小さな木の器械を使い、糸車を回していた。座繰(ざぐり)製糸と呼ばれ、製糸場内の繰糸(そうし)場には、この器械がずらりと並んでいた。

  製糸場は九三年、民間に払い下げられた。第二次大戦後は全面的に自動繰糸機を導入して効率を上げ、高品質の生糸を大量に生産。だが、安い生糸の輸入増などで一九八七年、百十五年続いた生産を終えた。
  操業停止後も民間会社が長く保存に努めたので、明治時代の姿がそのまま残されている。二〇〇五年には富岡市が所有し、国史跡に指定。翌年には官営時代の建造物が重要文化財にも指定された。
  ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)は勧告で、「十九世紀末期に養蚕と生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業国に仲間入りする鍵となった」と歴史的な価値を高く評価。

  文化庁は「西欧の技術を導入して、国内で養蚕・製糸技術を改良し、世界の絹産業の発展と消費の大衆化をもたらした普遍的な価値」といった推薦理由がほぼ認められたとし、勧告に条件などが付かなかったことについて「今回はパーフェクト」と喜んだ。今後、登録を確実にするため、遺産の保全や研究体制をさらに充実させる。


2014年4月27日 東京新聞

 



 

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