ボンビックス薬品は5齢3日の蚕(かいこ)を使用したボスリンを製造販売するグリーンシルク蚕粉末(かいこふんまつ)健康食品のパイオニアです。

グリーンシルク蚕粉末とは?


天の虫、カイコ

 絹は、古くから人間の生活に深く関わってきた天然繊維のひとつです。
 シルクは蝶や蛾の仲間であるカイコのマユを紡ぎ、糸をつくりだしています。
 このようにシルクをとるためにカイコを飼ってマユを作らせるまでを「養蚕業」と呼び、カイコの唯一のえさとして欠かせない桑を栽培することも含まれます。
 今では国内の養蚕業はほとんど衰退してしまいましたが、カイコに関する新しい研究もすすみ、蚕粉末をはじめとして様々な形で私たちの生活に欠かせないモノとなっています。

 カイコと人との関係がどのように進んでいったのか、カイコの歴史をひもといてみます。
 

養蚕の起源は古代中国


 養蚕は古代中国から始まったとされ、三千年以上前につくられたとみられる絹織物や、カイコを意味する甲骨文字がみつかっています。
 千年ほど前の遺跡からは、カイコと思われるまゆの殻が発掘され、それ以上前から養蚕がおこなわれていたと考えられています。
 やがて生糸や絹織物は、有名なシルクロードを通じて、古代ローマ帝国などへと広まっていきました。中国では養蚕技術が国外にもれることを禁じていましたが、カイコの卵やクワの種がひそかに持ち出されて伝わり、5世紀頃にはヨーロッパでも養蚕がおこなわれるようになりました。

 

日本への伝来


 日本へも弥生時代には中国から伝わったとされています。吉野ヶ里遺跡から絹織物や、日本茜や貝紫で染色されたものがみつかったことから、このころすでに高い技術があったと伺うことができます。
 また1〜2世紀ごろに朝鮮半島からカイコの卵と織物技術を伝えた記録も残されています。
 そして飛鳥・奈良時代には、日本の各地に養蚕が広まっていたとされています。

 

江戸時代に本格的な国内産業へ

 養蚕技術が伝えられてからも、生糸や絹製品の多くは、中国からの輸入に頼っていましたが、江戸時代に入ると生糸や絹織物の需要が大幅に増え、日本での生産量も次第に多くなっていきました。
 江戸時代の終わりごろには、国内での生産量は中国からの輸入量の2倍以上にもなるほどの広がりを見せました。

 

明治を代表する産業へ

 19世紀中頃には世界有数の養蚕国であったフランスとイタリアでは、カイコの伝染病が大流行し、大きな打撃を受けていました。
 そのため日本からは、病気にかかっていないカイコの卵が多く輸出されるようになりました。
 明治時代に入ると、ヨーロッパから近代的な技術を学び、高品質な生糸や絹織物が輸出されるようになり、日本産の絹製品が世界中に広まりました。
 第二次世界大戦直前に輸出が停止されるまで、生糸が輸出総額の中に占める割合は大変高く、約50%にも達するほどでになっていました。

 

大きな転換期〜新しい素材へ

 第二次世界大戦による輸出中断中、アメリカで軍需用に発展した化学繊維やナイロンなどが絹に変わって世界の市場の中心となっていました。
 終戦後の厳しい状況で国内の農家も食料生産に専念せざるをえず、養蚕業は急激に衰退していきました。
 しかし、次第に国内で和服の需要が増えたことで絹の消費も伸び、再び養蚕業が盛んになりました。養蚕の大規模や省力化も進みました。
 ただ、現在は和服を着る人が減ってしまったこと、海外との価格競争に負けたことなどから、国内の農家数やクワの栽培面積は年々減少し続けています。



 国内の需要減少や大規模集約生産になったことから養蚕農家は減っていきましたが、カイコを新しい素材として活用するための研究が進んでいます。
 蚕粉末をはじめ、化粧品やコンタクトレンズ、医療用品への転用も進み、新しい形で人々の生活に関わり続けています。


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 グリーンシルク蚕粉末(かいこふんまつ)健康食品のパイオニアであるボンビックス薬品株式会社では蚕の粉末を原料とした健康食品「ボスリン」・韓国伝統の仙食をベースとした「スリム仙食」を製造販売しています。 また、業務用にグリーンシルク蚕粉末の原料提供も承っています。